なぜpodcastを始めたのか?
生放送などの「フロー型」の配信に飽きたからです。一般にメディアは「フロー型」と「ストック型」と分けることができます。二分化できるものではありませんが、「どちら寄りであるか?」はある程度分類できます。形態に分けて幾つか例を提示します。映像ではテレビがフロー型で、DVDがストック型、Huluなどの配信サービスは中間に位置すると思います。音声ではラジオやライブがフロー型で、CDやダウンロード販売がストック型です。文章では雑誌がフロー型で、単行本がストック型です。MagazineとBookからできたムック本はその中間に位置します。ネットの主張の場ではブログがストック型寄りで、フロー型寄りなのはTwitterです。今は少なくなりましたが個人サイトはストック型の側面が色濃く出ていました。ゲームでは買い切りのコンシューマゲームがストック型で、オンライン環境を常に要求し、日々新しいものを提供しようとするスマホゲームなどはフロー型だと思います。動画配信においてはYouTubeはストック型に近く、ニコ生やツイキャスなどはフロー型です。時代的に考えるとネットではよりフローなメディアが好まれ、流れていく傾向がある気がします。
これは偏見かもしれませんが、フロー型の価値観ではより新しいものが好まれ、頻繁な更新が要求されます。更新されなくなったものは死んだコンテンツとして扱われ、より新しいコンテンツに塗りつぶされていきます。また、よりライトな内容が好まれ、深い考察は重いものとして嫌厭されるし、「何を言うか」よりも「誰が言ったか」が重視される、私はそんな印象を持っています。
私は生放送の配信をやっていました。始めた時のモチベーションは今となってはよく思い出せないのですが、自分たちで何かを考えて作って提供してみようというぼんやりとした目的があった気がします。あまり人気は出ませんでしたが、誰かが反応してくれるということはいいものです。しかし、続けていくうちに疑問が増えていきました。配信がいくら楽しくても、結局のところその場限りのものです。30分という枠に縛られ、視聴者も途中から入って途中で抜けていきます。配信したコンテンツは時間とともに風化し、一定の期間が経つと聞くことができなくなります。それ故にきちんとしたトークテーマ、コーナー、視聴者との交流といったものが取りづらく、配信当初に考えていた理想像とのズレが生じてきました。自分のやりたいことは「フロー型」では生かせないのだと気づき始めたのです。
一方で、人気の生放送などは、信者が録画して動画サイトにアップロードして「ストック型」のメディアとしての側面を持ち始めたりします。こういった「フロー型」のメディアのもつ良さを残しつつ、「ストック型」のメディアとして配信できたら最高なのでは?と考えたとき、思い立ったのがPodcastでした。また、過去を振り返るための日記として役割を併せ持つのも利点の一つです。少し余裕ができた今のうちに何か形のあるもの(音声データですが)を残しておこうという気になったからです。
podcastの現状
現状は正直芳しくありません。podcastというサービス自体はだいぶ古いものです。TBS JUNKなどのいわゆる”プロ”のpodcastを除き、廃れ行くメディアになりつつあります。
外に出ればどこでもiPhoneを見かけるのに、podcastを聞いている人はごく少数です。また、ランキングを見る限りでも芸能人がやっている”プロ”の配信を視聴する人が大半であり、わざわざ素人の放送を聴いてやろうと言う奇特な人は少ないようです。
podcastの利点
いつでもどこでも聞けることです。”ネットラジオ”と呼ぶこともありますが、実のところラジオとは似て異なるものです。配信時間に聞く準備をする必要がありません。購読が可能なのです。予約録画とも少し意味合いが違いますが、「朝起きたら新しい音源が上がってた」といった感じです。購読すれば勝手にダウンロードしておいてくれるというのは大きな利点です。また、映像がないため作業しながら聞ける、散歩しながら聞けるのも利点の一つです。容量もそこまで大きくないため(このpodcastは約30MB/30分)といったところなので携帯端末にも大量にストックできます。大量のストックから最新のものを追っても良し、数年前のものを掘り出して聴いても良しのメディアなのです。
私はiPhoneでなくAndroidユーザーなのですが、ポッドキャスト自体はAppleの端末でしか聴けないなんてことはありません。私は””Podcast Addict””というアプリで大量にpodcastを購読しています。まさに””ポッドキャスト中毒””です。