about moru

どうも、モルです。
僕が自分のことをほとんど話さないから、人となりがよく分からないというご意見をよくいただきます。
僕自身も自分がよくわからないので、他人の考えを知るために遊ぶUNGAMEというゲームの札に書いてある質問に答えてみました。

これが自己紹介に代わればよいかと思います。

– 01.「正しいこと」と「間違っていること」の判断はどうやってつけている?
今と昔だとだいぶ異なる。
幼い頃は、母が喜ぶことが「正しいこと」だった。だから進んで手伝いをしたし、習い事に通った。
「間違っていること」はその逆で、母が好まない行いのことだった。
こんな感じだったから、幼い頃は「正しいこと」と「間違っていること」が対極にあって、すぐに見分けることが出来たように思う。しかし、それは自らの目を通していない借り物の判断基準だった。
今は母を基準に置いていない。「正しいこと」はすぐにはわからないことで、他人がどう思うかは重要ではない。自らの行いが正しかったか間違っていたかを判断するのは自分の役割だ。
また、「正しいこと」はひとつに定まらない。疑うことができることと選択できることが基準になる。疑った上で選べば、結果がどうであれ、正しさに近づく。。
疑うことすら許されないようなことや、最初から選択の余地がないものに関しては正しいとは思わない。自らが考えて選択しなければ、どんなに評価される行いでも正しさからは遠ざかる。
例えば『時計じかけのオレンジ』のルドヴィコ療法を受けたアレックスのように、正しい選択のみが与えられて、それを選び続けることを強制されているとする。その人は正しい人であると言えるだろうか?僕は違うと思う。
「間違っていること」は自分の意に反することを行うことだ。といっても、他人から、もしくは自分から気づきを得て考えを改めた上で行うことであれば、間違ってはいないと思う。
増えた選択肢の中から再び選ぶのだから、より正しさに近づくことができるからだ。
そういう意味で「正しいこと」は広いこと、「間違っていること」は狭いことという判断で考えることが多い。

– 03. 自分を色にたとえると何色だと思う?理由も教えて。
水色。ターコイズブルー。
真っ青はちょっと冷たすぎるから、少し淡く白っぽい青が好きだ。
最近思ったが、『インサイド・ヘッド』で最も共感できたのがカナシミだった。
青は悲しみの色かもしれないが、僕は悲しみを悪いもの、避けるべきものだとは思っていない。
そういう意味で、水色が好きなのかも。

– 07. あなたにとって「素直」ってなに?
思ったことをそのまま言葉にすること、行動に移すこと。
時として相手を傷付けることがあるが、言葉をどう受け取るかは受け手の問題だ。
「素直でない」態度をとってしまうのは見栄や意地を一時たりとも捨てきれないからだ。
人は故意に「素直でない」態度をとることはない。自意識にまみれて「素直になれない」人がいるだけだ。

– 08. 自分を童話のキャラクターに例えるとなんですか?
思い浮かばない。多分桃太郎とか金太郎とかの花形ではない。
思い出した。多分さるかに合戦のカニだ。幼かった頃はうまいところをさらっていく兄がサルに見えたものだ。
あとはウサギと亀の亀、これもトントン拍子でやり遂げちゃう兄をウサギにたとえて、自分は亀だからコツコツやらないといけないんだと考えていた。
今思うと、僕はそこまでコツコツ頑張る方でもないから亀ではない。

– 09. 子どもの頃の、水泳についての思い出を聞かせてください。
兄と水泳教室に通っていた。小学三年生くらいのころだ。
兄は水泳教室を休みたがったが、サボって叱られるのも嫌だった。だから兄は水泳教室のバスに乗らずに、公園の水道で水着を濡らすことを思いついた。
僕も同じバスに乗って水泳教室に行くことになっていたから、口裏を合わせるために僕を巻き込んだ。
そうやって水泳の帽子と水着を濡らしてビニール袋に戻すとき、罪悪感というものを胸に感じた。
心臓から胃の中間くらいのところがずうんと重くなり、不安で苦しくなる。かと思うと水泳教室に行かなくて済んだことで自由な時間ができたことに対する楽観で雲散霧消したりする。
でも、なぜだか僕たちの嘘はすぐにバレてしまうのだった。母には嘘を見抜く魔法の目でもあるかのように思った。
今考えれば、僕らの稚拙なトリックと落ち着かない態度が見え透いていたんだろう。

– 15. 何かを「やりたくない!」と思ったときはどうしますか?
はっきりしないほうだ。「やりたくないけど、やらなくてはならない」ということが頭の中で堂々巡りになってしまい、楽しいことが考えられなくなる。
うまく動ける時は、別の手段で代替することを考える。
駄目なときは、それを課したひとが忘れてくれるか諦めてくれるまで時間を潰したりしてしまう。結局やらされることになるのだが。
本来であれば、やりたくない旨を話して交渉するのが良い対応だろう。でも、うまく言った試しがあまりないから、どうしても避けがちな手段だ。
でもたまにやってみるとあっけなく話が通って、やらなくて良くなったり負担が減ったりすることがあるから、困った時はとりあえず試したほうがいいのかもしれない。

– 26. 現実にありえないけど挑戦してみたいことってなに?
現実にありえないことは数限りないほどある。
僕が考える現実にありえないことは、僕ができそうにないことと同義だ。
そういう視点では、たとえば人目を引くことをやって人気ものになるとか、世界中を旅して回るとかいったことが相当するかもしれない。
もっと言えば、自分の過去をすべて捨ててしまうことだ。捨てた後で全く別人として生きる。
今までの経験が全く役に立たないだろうから、それはとても怖いことだ。だけど、挑戦してみたいと思うことがある。

– 42. 次の文章に当てはまる言葉を考えてみて。「私は人込みの中にいると・・・・」
私は人込みの中にいると、落ち着かない。
人込みに集う人たちには何かしらの目的があるが、僕はそれを持ち合わせていないことがある。
単に時間が空いたから出かけていった商店街やモール、そこでは僕は買い物をする気もないし、誰かと待ち合わせる予定もない。
こんなにも多くの人が何かしらの目的を持ってここに来ているのに、僕にはそれがない。そういうことを気付かされるから不安になって落ち着かない。
もちろん、目的のある人ばかりではないし、僕みたいな人だっているはずだけど、そういうところばかりが気になってしまう。
一方で、明確な目的がある時はそういうことを全く考えないし、感じない。自分が人込みの中にいることすら忘れてしまう。

– 43. 家から閉め出されたことがあったらその時のことを話して。
閉め出された経験は何度かある。
一番良く覚えているのは、高校に行きたくなかったとき。
出席日数が足りなくなるからと母に急かされて準備をして家を出る。でも、高校には行けない、行きたくない。だから、公園で時間を潰したり、適当に家の周りを散歩したりしていた。
のんきなものでもなく、将来に対する不安とか、このままの状態がいつまで続くのだろうかとか、両親が悲しむこととか、そういうことが頭の中に絶えず入り込んできて、ただどこか熱くもなく寒くもなくひと目のないところに座っていたかった。
結局はもう一度マンションに戻ってきて、エントランスで部屋番号を押す。すると母が出て、しぶしぶ自動ドアを開けてくれる。
だが、高校に行かない自分には居場所がないような気がして、家の中でもくつろぐことができず、部屋の電気を付けずにただ座って考え事をしたり、横になるだけだった。

– 44. 大好きなテレビ番組について、話してください。
僕はいま、あまりテレビを観ない。だから、大好きなテレビ番組は幼い頃に観たものばかりだ。
アニメや金曜ロードショーなどが好きだった。でも、録画を逃しても平気だったし、そこまで熱中した覚えはない。
本当に好きだったのは、ディズニーの『チップとデールの大作戦』、あと『ガジェット警部』とかが好きで何度も観ていた。
子供ながらにスパイアクションみたいなものにあこがれていたのだろうか?
身近な物を使ってピンチを切り抜けたりするのが好きだった。洞察力や科学への憧れみたいなものを抱いた気がする。
あとは、『トムとジェリー』も繰り返し観ていた。間抜けなシーンを兄弟で再現してみたりして笑い合うのが楽しかった。