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久しぶりの収録/お便りの反映遅い問題/コマ割り問題について/価値観が変わることは良いこと/良くなりたい願望/集団における方向性の違い/アップデート/数には収斂されない/全体の流れと自分の流行は別/押見修造『ぼくは麻理のなか』について(鳥居)/『マルコヴィッチの穴』/課題図書/押見修造/世界の半分/『惡の華』/ファム・ファタールもの/アニメ版惡の華(ロトスコープ)/容姿の違いで賛否両論/大今良時『聲の形』/容姿が与える影響/押し付けの好意/好きな愛の表現/『プラネテス』/ユーリと奥さんの時計/新井英樹『宮本から君へ』/暴行事件の復讐/自分のための自己犠牲/思い出したから追加/西森博之『天使な小生意気』/自己犠牲大好き民族/自分の安全が優先/捨て身の尊さ/明確な違い/おわり
プロデューサー(起案/web管理):モル
ディレクター(番組構成):鳥居
サウンドディレクター(音源編集/ジングル):ワニ
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キミモル総合
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<p>編集後記: 収録が確か二週間ぶりと行ったところでしょうか?相変わらず鳥居くんの話題に頼っております。
今回も鳥居くんの意見を否定することが多かった感じです。正直が一番とは言え、もうすこしうまいやり方があったのではないかなんて考えちゃったりします。
さて、みなさんはフィクションになにを求めますか?現実にはないもの、現実ではありえないことを求めがちではないでしょうか?特別な才能、稀有な事件、巧妙に仕組まれた陰謀…それらは現実では滅多に目にすることがないからこそフィクションではとっておきのテーマになるのです。自分の命を投げ打った自己犠牲なんかもそういう括りにはいる気がしませんか?困っているひとを見かけたけど、自分のことで手一杯で助けてあげられなかった。自分が一生懸命力を尽くしたら酷いことにならずに済んだかもしれない、といった現実での無念をフィクションで成仏させてやるわけです。あれはある種の救済装置なのだと思いませんか。
私はそういうものを純粋に楽しむことが(まだ)難しいです。まず自分を救わなくてはならないからです。さらに、人を救おうとすれば優しくならなければなりません。心身ともに余裕を持たねばなりません。かといって助けることで間接的に自分に価値を見出すメサイアコンプレックスになってもいけません。助けてやったことで見返りを求めたり恩を着せようとしてもいけません。また、困っている人を見かけたら片っ端から助ければいいというわけではなく、相手が救って欲しいと手を差し伸べてきたときだけしか救ってはなりません。相手の意思を無視して救い続ければ、その人を救いなしにはなにもできないひとに変えてしまうかもしれないからです。私の考え過ぎなんでしょうか?救うというのは個人で完結する行為ではないため、覚悟を要すると思うのですが…
過保護で育ってきたことを恨んでいる自分にとっては、自分すら救えてないくせに、僕の意思を聞かずに勝手に手を出して助けた気になってる人が好きになれないのです。長期にわたる過保護は僕の自由意志の芽を摘み取ってしまったし、困っているときにも助けて欲しいというサインを出すこともできない人間を作り上げてしまいした。いまは、環境を変えることで自らを救い、苦しいときは救ってほしいというサインを出せるような人間になるために人生をやり直しているところです。そんなぼくにはまだ人生をかけた自己犠牲はまだ早いななんて思う今日このごろです。
P.S. FateZeroのセイバーとか反吐が出るくらい嫌いです。
苦行によって悟りを開こうとする愚と似て、自己犠牲によって完成された人格を築こうとするのは愚かな行為だと思います。
(モル)</p>
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